トップページ

2009年7月

目次

~序章~

~第一章・・・つづきが残ってる~

~第二章・・・経緯と実態~

~第三章・・・核~

~第四章・・・O-ja丸 消滅~

~第五章・・・変化する幸福~

~終章~

2001年5月11日、生還。


~序章~

全て書き終えてから最後にこの序章を書いている。本文でも述べているが、これを最も読んでもらいたいのは、未来の自分である。それなら日記ですませろっていう話もあるが、もちろん自分以外にもなるべく正確に伝えておきたい人が少なからずいる。俺のメジャーでの活躍を願って純粋に喜んでくれて応援してくれた人に対しては、やはり「ハッピーじゃないから辞めた。」ですませられないと思う。それに今後、その人達一人一人に全てを話していくわけにもいかないし、仮にしたとしてもだんだんと色々なことを端折っていくようになったり、俺自身の気持ちや記憶も変わっていく気もするので、文章という形にこだわってみた。さらにこうして日記ではなく客体化させて書くことで、(自分のために)主観を整理するという狙いもある。

今後新たに出会う人やそもそもの経緯をご存知ない人には最初から何も言わなければいいだけの話でこれをわざわざ見せるつもりはない。歳をとってから「俺は昔少しだけメジャーにいたことがあって・・・」などと遠い目をしながら語るつもりもない。そういうことはカッコ悪いことだと思ってるし、それにそもそも契約はしなかったんだから俺は「メジャーにいた」ことにはならない。ウソつきにはなりたくない。

この文章には一切の嘘が無い。完全ノンフィクション、ドキュメントである。なんの脚色も無いので魅力的な文章とはいえないと思う。もしもとにかく要点(?)だけを知りたいという人は、第三章からいきなり読むことを薦めます。そして「どうでもいいからとにかくまずはコブシャウの今後が知りたい」という人は、それこそ最後の1ページだけ読めばOKです。

これから先、「何で辞めたの?」ってことを訊かれた場合、簡単な説明で終わらせるくらいなら何も言わないほうがいいと思ってるし、All or nothing というか、質問してきた人には、それであればこの文章を読んでもらいたいと思っている。この文章をコッテリと読まされるのだから質問する側も覚悟が必要です(笑)。でも特に「きっと自分の音楽が商業主義に乗ることが嫌になったんだろう。」とか「芸術(!?)を追求出来ないことに気づいたんだろう。」とか勝手に想像してる人には、これはもう全然違うのでぜひ読んでもらいたいと思っている。タイトルが少し仰々しいが、この「生還」という言葉が大袈裟じゃなく最も的を得てる気がするのでこれに落ち着いた。良いことなのかなんなのかはわからないが、とにもかくにもこれほど魂込めて物を書くことは後にも先にもないような気がする。


~第一章・・・つづきが残ってる~

 今年の3月、当初考えていたこと・・・あまり根拠はないのだが、33歳が終了することをもって、つまり34歳になる二千一年 三月十一日 をもって、音楽を職業にしようという考え、俗に言う「メジャー志向」というのをやめよう。ということ。いくつかのレコード会社をピックアップし、デモテープを出して、何の反応もなかったらスパっと「メジャー志向」はやめよう(音楽をやめるという意味じゃなく)と思った。そして反応は・・・あった。

一月に某インディーズレーベルからデモテープ審査通過の知らせが入る。面接&実技審査のため中野にあるスタジオに出向く。五人ずついっせいに面接をするのだが、とにかくそこに来た人はみんな超素人ばかりということにまず驚いた。審査員はそのレーベルの代表とプロデューサーとディレクターと呼ばれる人達である。進行係の人が「各それぞれ一分間の実演をしてください」と言い、まず最初に十代と思われる女の子が「ミッフィーの物マネをします!」と言って、「ミッフィィィ!ミッフィィィ~!」とただ言っただけ。そのあとやはり女の子「松田聖子の物マネします。」次の女性はなかなかな歌唱力で、S・ワンダーの曲をアカペラで歌う。そしてその次、「私は体が柔らかいので前屈をします。」おいおい、ここはアイドルやタレントじゃなくてCDリリースが目的のインディーズレーベルだよな、と思っていたら次は男性で、「僕も歌はあまり得意じゃないんで前屈をします」と。そんなみんなで前屈してどうする(笑)って感じで気を取り直して俺は自作の曲を弾き語った。プロデューサーと呼ばれる人が「なかなかノリがいいねぇ、君、そういうギター(ギタープレイのことじゃなく、あくまで楽器としてのという意味で俺のギターを指差し、)弾いてるってことはブルースとか出来る?例えばさ、ゲイトマウスブラウンとか出来る?」と訊いてきた。だいたいこの質問の真意がまずわからない。俺はブルースは大好きだが、デモテープでも今の実演でもブルースっぽい曲をやったわけでもなければ、ブルースをやっていきたいと言った覚えも無い。そのプロデューサーが俺の歌と演奏を聞いてブルースに向いてると思ったとは到底思えなかったし、とにかく漂うインチキ臭いオーラ。ゲイトマウスブラウンの名前を出すことに何の意味があるんだろう、脈絡なく渋いところをついてくるあたりがまずインチキ臭い。俺には今ここにいる人達にそのプロデューサーが自らの音楽通な部分をひけらかそうとしてるとしか思えなかった。コブシャウ今世紀初ライブの前日の出来事だっただろうか、とっとと俺はコブシャウの練習に行きたかった。

かくして3,4日後そこのレーベルから、ぜひともうちでやってほしいという電話が来て、さらに契約になると思うので印鑑を持ってくるようにとも言われた。カッコつけてるわけでも何でもなく、全く嬉しくなかった。最終面接には一応行ったが当然判も押さなかった。その最終面接でそこの代表と話をする中で、別に悪い人ではなかったが、やはり音楽的に尊敬出来ない人のもとでCDを出したくはなかった。

ちょうどその頃、俺は「OVER 30」という曲を作っててその歌の最後の一節「つづきが残ってる」という言葉が何度も頭の中でリフレインしていた。この言葉をこれからの第二の人生(?!)の結論にしようと思った。音楽を職業にすることは辞め、自由にのんびり音楽をやっていこうという意味での「つづきが残ってる」ということ。これは妥協ではなく、静かな暮らし(!?)の中での幸せへのあこがれのようなものがここ近年メキメキと自分の中で生まれてきていたし、そう決心した瞬間にとても清々しい気分になった。今後の自分をどうしようか、まずは少しコブシャウの活動もお休みするのがいいか、俺が二年位海外に(これも選択肢のひとつだった)行くって言ったらメンバーはどう思うか、などなど。具体的な方針を決定するというより、具体的な方針を決定することを決定した。そして34の誕生日を迎えた。

気持ちの整理をつけたばかりの忘れもしない三月二十一日の夜、突然、大きな波が来た。というより、思えばこの日より嵐にのみこまれることになる。


~第二章・・・経緯と実態~

3月21日の夜、某メジャーレコード会社(名前はふせておく。というのもそこで働いてる一部の、本当にごく一部の誠実な人達のために、そしてまだ今もそこに所属してるアーティスト仲間の今後のために。)の社長、兼プロデューサーから直々に電話がきた。俺の送ったデモテープを聞いたということと、なるべく早いうちに実際に会いたいということだった。今度は正真正銘のメジャーレーベルからである。しかもプロデューサー自ら電話をかけてきたのだ。早速、翌日の夕方にそこのレコード会社を訪問することになった。約束の時間にそのレコード会社(以下会社)に着き、待たされること二時間、その人(以下社長と呼ぶ)は現れた。

社長の第一印象は、とにかくよくしゃべる人だなぁということ。手短に・・・と本人が最初に言いつつも気づけばあっという間に三時間がたっていた。今思えば、ウットリするようなこともたくさん言ってたなぁと思う。ただ、やはり十代とかの若者に話してきかせるような、(良く言えば丁寧な、)長すぎる説明、簡単に理解できる話も具体例を二つも三つも添えて話すのでどんどん話が長くなっていくなぁ、とは思った。 

ちなみにこのレコード会社はメジャーレーベルの中では会社の規模や社員の数も驚くほどにコンパクトだということはすぐに見て取れた。でもこの時点では、だからこそ魅力を感じた。「少数精鋭」という言葉が俺は好きだし、これはあくまで想像上のことでしかないが、大きなレコード会社というのは、一般の大企業にしてもそうだが、創造段階からリリースまでの間に無数の企画会議等が行われ、足踏み状態が続き、だんだん本来の作品の形がなくなっていってしまう、もちろんそれによって作品が洗練され、さらにクオリティーが高まるというのであればそれも良いのだが、こと楽曲というものはそれを作ろうと思ったときの初期衝動が本当に大切なのだと確信してる自分にとっては、リリースまでの工程になるべく余計なものが噛まないほうが良い物が生まれると思っていたし、特に音楽に無知な人の手を通らねばならない状況があるとすればなおさらだ。こういう点を思えばこの会社はとにかく、この社長とのやりとりが全てで、なおかつ社長自身ミュージシャンで一時代を築いた人だ、というのがとても嬉しかった。これは後に両刃の剣だということに気づくことになるのだが・・・。

さて、そんなわけで初対面の日「もう他のプロダクションやレコード会社にはデモテープとか送ったりしないで。」という社長の言葉を最後にその日は帰った。そして二日後位だったか、社長から電話があり「早速具体的なことをどんどん決めていかなきゃならないので、明日来れるか?」ということと、更に今までに作った曲をなるべく全部音源として持ってくるように言われた。翌日会社にいくことに関しては体は空いてたが、この今までのレパートリーを全て音源にするという作業には少し無理があった。俺がこの21年間に作った曲は174曲。ただしそのうちの半分近くは中学、高校時代に作った曲で、どう考えても使い物にならない曲だということは自分が一番よくわかっていた。社長がいうには「それはおまえが決めることじゃない」とのことだったが、それにしてもあまりにもCD化に耐えられない未熟な曲も多く、結局は大学以降JIVE JUNKとコブシャウのナンバーを中心とした79曲に絞ることにした。79曲にしたとはいえ、これらの編集はなかなか大変でビデオにしかない音源などもあり、悪戦苦闘の末、何とか全てカセットテープにおとすことが出来た。それを提出したとき、社長に「MD買え!」と怒られてしまったが確かにこれら79曲を早送りや巻き戻し、特に頭出しなどする場合、大変な労力がかかるよなぁと聴く側のことを考えた場合、大変申し訳なく思ってしまい、翌日すぐにMDを購入した。

2回目の打ち合わせで「7月25日 シングル・アルバム同時発売」という話が出たのには本当に驚いた。リリースが早いのは嬉しい限りだが、いかんせん早すぎる、あと三ヶ月だ!シングルだけならまだしもアルバムもというのは俄かには信じられなかった。そしてこれだけは社長に言っておかなくては、と思ったことが、自分は譜面が全く読めないことと、ギター以外にまともに演奏出来る楽器がないこと、宅録・打ち込みの知識が全く無いということである。アレンジはもちろんやるが、それはイントロ、ブリッジ、エンディング、軸となるフレーズ(リフ等)のことであって、細かいベースラインやギターソロなどはバンドのメンバーに任せてきた、ということをはっきりと伝えた。

宅録技術の必要性を社長に説かれ、これには俺も納得して、これからは身に付けなければと思った。しかし今まで身に付けていなかったことに関しては全く後悔はしてないというか、今までは頭の中で鳴ってるフレーズを口で全てメンバーに伝え、メンバーがそれを具現化してくれたし、そういうものをマスターする分、さらに曲を作りたいということはもちろん、その分、本を読んだり、映画を見たり、はたまた単にボケーっとしたりすることのほうが、創作活動においても重要なことと考えていたし、それによって今日の自分(ミュージシャンとしてのという意味においても)があると思っているから。しかしこれからはメンバーのように以心伝心というわけにもいかないだろうし、少なくとも曲のニュアンスを社長に伝える新曲のデモテープ作りにはリズムマシンの打ち込みなどマスターしなければ、と生まれて初めて思った。

そして更に社長に宿題を出された。四日後までに新曲を30曲作ってこい、ということ。三日後にコブシャウのライヴ(このライヴをもってしばし活動停止にしなければならなくなった)もあり、スッキリした気分でライヴをやりたかったので四日ではなく、二日で30曲作るというノルマを自分に課した。こんなに短時間で曲を量産することは生まれて初めてだったが、辛くもあり楽しいことでもあった。

ちなみに塾の方も続けていいと言われ、とても助かったと思った。というのもプロダクションに所属せずにレコード会社にだけ所属してる場合、収入源はまさに印税のみとなる、そして印税というものはリリースしてから半年後にならないと入ってこないからだ。まずもって俺はそもそもプロダクションとレコード会社の関係というものを少し誤解してた。これまで自分で勝手にイメージしてたことはプロダクションに入ってもレコード会社がOKしなければ、CD化はされないということはあれど(そしてこれは事実だが)逆にレコード会社が決定しているならば、自動的にとはいわないまでもプロダクションへの所属も比較的容易なことで、なんとなく プロダクションレコード会社 という不等式を勝手に作り上げてしまっていたのだなぁと思った。しかし一方で、このレコード会社に限り直属のプロダクションがあるし、というか所在地も社長も同じというところだけに、俺はここのプロダクションに所属するものだと思い込んでいた。しかしどうやらそうじゃなく俺はレコード会社だけでスタートするらしい。そんなわけもあって塾を辞めるわけにもいかないし、まぁそもそも塾を辞めたいと思ったことはないわけで、塾を続けていいという言葉はともかく嬉しかった。もちろんこれは裏を返すとそれだけ収入は無いぞ!と言われてることにもなるわけでいつまでも塾との両立が物理的に十分に可能だということは、イコール、ブレイクしてないということなので、素直に喜んでる場合でもないが、まぁ両方が中途半端になることだけは避けなければと思った。社長いわくこれから当日にいきなり予定が入ることは年に一度あるかないかで、せめて前日までには予定は出てるとのことだった。こうしてさしあたって塾も続けたままの音楽活動が続くこととなった。塾というものは基本的に勤務時間は夜なのだが、それに輪をかけての夜型というか深夜型、あるいは超朝型(?)の音楽活動となった。というのも社長の出社がだいたい夕方五時過ぎでそこの会社の一般業務が終わった十時過ぎ位に当面の自分が今やるべきレコーディングをやることになった。

ところで会社に行かないときはこれは俺だけじゃなく他の所属アーティストもそうなのだが、決まり事として電話を必ずアーティスト側からかけるということがあった。こっち側に用がある場合はもちろん、向こう側の用件の時もそうなので、どういう用件かわからないまままずは電話して、その時に社長が何かしてたり取り込んでたりする場合は、またこっちからかけ直さなければならなかった。社長の手が空くタイミングまで何度も何度もである。出先にいるときなどは、別に何時にという指定もないので少し落ち着いた場所からかけようなどと思ってる時に限って何故か社長の方からかかってきて「もっと何度も何度もつながるまでかけてこい、つながるまでかけ続けろ、こっちからかけたりなんかしないぞ、俺は社長なんだからな!」(ちなみにこのセリフはかなり一字一句同じでこう言った)と怒られたりする。そしてこの電話で用件を言ってくれるでもなくこのような説教だけで、「じゃあまたかけてこい」と言って切られる。とにかく社長の方からは電話をかけたりするもんじゃないという考えからなのだろうが、能率が悪いことこの上ない。会社側にしても電話代がかかんないというメリットだけはあるかもしれないが、こちらから闇雲に電話するということはそこの会社の社員はその都度電話に出ることでその間仕事の手が止まるということにもなるし、これは誰のためにもなってない。ここの会社は社員もアーティストも含めどんな些細なことも社長の許可を必要とするため色んな種類の話が社長ただ一人に集中する。これでもし社長がそれらの優先順位事項を瞬時に見極めスムーズに処理する手腕の持ち主であれば良いのだが、残念ながらそうではなく、例えば凝縮すれば2・3分で済む話もやがては説教へと発展していきすぐに3・40分の時間がたっている。そしてその間他の人はひたすら待たされることになる。それにしても、とにかくよく怒る社長だ。怒るということはとてもパワーを使うことで、あれだけいつも怒ったり文句言ったりしてて疲れないのだろうかと不思議にも思う。トップに立つ人間として厳しさは絶対に必要だと思うが、どんな時もあまりに高圧的に話すのでそこにいる社員などは完全に萎縮してしまって、会社内に笑顔が無い。昔、俺が六本木のレストランでアルバイトしてた時の和食の板前さんの手伝いをした時の空気に近いものがあるが、なによりここの会社は音楽の会社なのだ。遊びとは絶対違うが、笑顔も無く暗い顔しながらでは良い物も生まれない。おしなべて、専制とか独裁というものは、とりわけ独創性や創造力の大敵であると思う。ただしここで社長だけが孤立してるのかといえばそうではなく、社長が「助さんと格さん」と呼ぶほどの二人の側近(いずれも女性)がいる。このうちの一人はまぁ名実共にNO2だとは思うがもう一人の方がよくない。一見、感じは良く(そしてかなりの美人で年齢もたぶん若い)、営業面や外渉等ではかなり貢献してるものと考えられるが、部下からの信頼はゼロだと断言出来る。というのも俺は社員のいるデスクのあたりで社長が来るのを待っていることが多く(来るように言われた時間から2,3時間待たされることはもはやあたりまえとなっている)、その間に一般業務をしている社員同士の人間模様をしばしば見てきたのだ。そしてこの女性が部下に対して(部下も女性、ここの社員はなぜか女性ばっかり)してることとか俺は目の当たりにしてきた。ここではいちいち書かないが「心無い振る舞い」とだけ言っておこう。いや、でも俺が直接関わったことなら書いても良いだろうから書くと、一度俺は前の日の夜社長に明日は五時に来いと言われ、歌入れの真っ最中だったし、歌入れをするのだというのは百も承知だったが、いかんせんPAオペレーターの人(以下PAさん)は社長の指示がなければ作業を始めてはいけないことになっていて、PAさんが俺に「やってろって言われてないよね?」と訊いてきて、俺も「はい、五時に来るように言われただけですが、とりあえず歌入れしておきます?」とは言ってはみたもののやはりもう少し待とうということになり、俺は詞の直しなどをしていた。そして一時間がたち社長から電話が来た。電話に出たのがその女性だった。社長はおそらく「おじゃ丸は歌入れしてるか?」とか言ったのだろう、その女性はあからさまに受話器の向こうの社長にも聞こえるような大きな声で「おじゃ丸くんと○○くん(PAさん)はかれこれ一時間もボーっとそこで二人で座ってただけだったの?」と言ってきた。PAさんにしてみれば当然すぐにでも始めたかったはずで(ちなみにPAさんはアルバイト扱いでありながら時給制でもないので)それを不本意ながら待つしかなかったのである。それをその女性は何が狙いでそんなことを言ったのか。そのすぐ後、俺とPAさんはRECルームに入ったが、さすがにPAさんは怒ってた。社長はきっとその言葉通り二人がボーっとしてた、ととらえるだろうし、これでこっちが逆に見切り発車してレコーディングを始めてたら「勝手に始めんな!」って怒ったりするんですよね、とか言って二人で笑ったりもしてたが、ともかくこういう女性が上司のもとで働く社員の人達は大変だろうなぁと思った。

PAさんという人物が出てきたが、この人がこの会社の中で俺の唯一の理解者であり、心の支えであった。初めてのレコーディングの時、紹介されて会社の2FにあるREC ROOMに入り、そこには基本的に社長も社員も入らないこともあって、最初のPAさんのセリフ「ここに入っちゃえばこっちのもんですから」というのが忘れられない。新たな学校でうまくいってない転校生に偽善でもなんでもなく、味方になってくれる人が出現したかのような、はたまた戦場で負傷したところに現れたナイチンゲールのような(男だけど)貴重な、俺にとってはとても貴重な人だった。そしてREC ROOMはまさにオアシスのような所であった。俺の本分である「音楽」をする場であることに加え、そのような人がそこにいるという意味で。思えば俺はこれまでにかかわってきた一連のPAさんとは常に相性がいいなぁということに気づく。もともとPAをやる人がみんないい人なのか、俺がなかでも良いPAさんに恵まれてきてるのか、たぶん後者なのだろう。フォーバレーの山田さんしかり、堀田さんしかり・・・。

話は前後するが、レコーディングのことを書いておかねばなるまい。まず最初に「ちっちゃいガッツポーズ」と「男の戦い」の2曲のオケを作ることになった。ドラムとベースは打ち込みになるということでガッカリしたが、(まぁそれ以前にここREC ROOMにはドラムセットもなければ、ドラムを叩く場所もないのだ)ギターとキーボードとサックスをバンドのメンバーに協力してもらえ、と社長に言われ俺はやはり内心メチャクチャ嬉しかった。もちろんリズム隊も全てコブシャウになれば、言うことなしなのだが・・・、これはなにも人間関係を度外視しても、単純にサウンドのことだけを客観的に考えても、俺の作品はバンドサウンドが似合うと思っていたし、極論を言えばコブシャウのメンバーでないにせよ、人間が演奏してる感じのサウンドがいいと思ってたくらいだからこれでメンバーを使えるというのは願ったりかなったりだった。もともと最初聞かされた話だと、プリプロ(いうなれば本番レコーディングの前にやるゲネプロ)の要員としてミュージシャンを招集するというニュアンスで俺は聞いていたので、ガンちゃん、ゴーダ、バンダナ(以下ガン・ゴー・バン)にもそう言って声をかけたしガンゴーバンもそれで気楽に参加してくれたという感もあった。ところがPAさんがいうには、どうやらこれはプリプロではなく、本当のレコーディングなのだそうだ。それを聞かされたのはガンちゃんがギターを入れた後の話で、特に「ちっちゃいガッツポーズ」などはもともとAメロのギターはリフを弾いてるだけだったのが、社長に「何でもいいから16のカッティングも入れといて」と言われ、ガンちゃんとしてもまさに「とりあえず&思い入れゼロ」のカッティングを入れた後にこのテイクがまさに全国リリースになるということを聞き、ガンちゃん本人がもはやその時の自分で弾いたAメロのカッティングフレーズなど覚えてないとのことだった。「メジャーのRECってこういうもんなの?」とガンちゃん、「こういうもんなんじゃん?」と俺。それよりもそのことを聞いた後にRECに入ったゴーダとバンダナの方は突然プレッシャーを感じ始めたことと思う。それにしてもメンバーにはそれぞれ仕事があり、しっかり働いてきたあとにハードなレコーディングに参加してくれてまずは感謝。そしてさらに状況はどうであれ自らもしっかり楽しんでしまおうともっていくあたりはサスガだと感心してしまう。それはそうと、このレコーディングに参加してくれたメンバーには一銭もギャラが出なかった。ゴーダなんかは「今までCD作る時なんかはお金払ってたわけだしギャラなんかいいですよ」と言ってくれたり、他のメンバーも一様にギャラはいらない、と言ってくれた。しかしメンバーはどう言おうが、多少なりともメンバーへのギャラは出してもらいたかった。金額の問題じゃなく、俺がこれからやっていこうとしてるこの会社の心意気のようなものを俺自身が感じたかったのとメンバーにも感じさせたいという両方の気持ちがあった。この時俺はまだ契約前だというのに、俺の中で既にこっちの会社側の人間としての視点に立っているということに驚いたが、これは何も「武士は食わねど高楊枝」みたいな変な見栄のことをいってるわけではなく、そんなに財力のある会社ではないことくらいメンバーだってわかってたと思う、でもせめて交通費、またはそれも無理ならばそれなりの説明をしてくれたならば俺だって最初にメンバーにそれを説明し、それでもちょっと頼むよ、って言ってたろうし。というか先に述べたようにメンバーはそもそもギャラは期待してないのだが・・・。とにかく本当に僅かな金額であれ会社側からメンバーに渡してもらうという形を望んだが、結局ギャラどころかギャラは出せないということに関しての言及すらもなにもなかった。この頃逆にメンバーからは「あんまりおじゃ丸はそんなこと(ギャラ)にこだわんないでガンガン頑張ってくれ」という励ましの(?)メールをもらったりなんかして、そんなメンバーからのエールが身にしみた。そしてバンド名義ではない、おじゃ丸名義のCDだというのにいろいろと都合をつけて(平日の夜だったりする)膨大な時間を協力してくれて、しかもメンバー全員ではなく部分的に声がかかり、そして(何度も言うが)ノーギャラというこの状況・・・結束力の無い、浅~い間柄のバンドだったら妙な歪みが生じそうなものである。否、それ以前にもしメンバーとはそういう間柄であればこんな条件ではとても頼めなかっただろう。

2曲のオケがだいたい出来上がって、次に言われたのが、「ちっちゃいガッツポーズ」のAメロを改良せよ、ということ。オケは出来てしまっているのでもちろんコード進行等はそのままという中での改良。とりあえず15種類のメロディーを、これまでずっとそうだった自分の手法「適当な英語」にのせて歌ったものを持っていったら、社長曰く「日本語じゃないと雰囲気がわかんないから日本語の歌詞にしろ」と、言ってることはすごくわかるが、メロによって歌詞のハマり具合や内容は全く変わってくるし、能率という点では15種類それぞれのメロに15通りの歌詞(そのうち14個はボツになる)を考えるよりもメロを決定(内定でもまったくかまわない)した中で15通りまたはそれ以上の歌詞を考えたほうがいいと思うが、とにかくそれぞれに歌詞をつけて改めて提出した。そしてAメロが決定して、やはりというかまたもや歌詞を考え直すことになった。これまた10通り以上考えた。ちなみに例えばこれら一連の創作はじっくり一日使えるわけじゃなく、会社に行ってから突然、「一時間以内にやれ」と言われたりするのである。頭は常にマックスのフル回転、かなり疲れる作業ではあったが、こういうことを嫌がってはプロじゃないし、やりがいは十二分にあった。それにしてもつくづく思ったのは曲先で作詞が出来ないとどうにもならないのだなぁということである。まぁ今の世の流れとしても曲先が主流なのは常識になってるが、それにしてもここの会社には「詞先」という概念すら存在しなかった。今まで俺は作品作りをずっと「曲先」でやってきて本当によかったと思った。

ところで作品が完成に至るまでには数回のチェック(直し)が入り、何度もやり直すことになるのだが、作るのはあくまでも自分なので自分の中で合格点を超えてるものしかそもそも提出しない、ということで自分が納得する作品クオリティーのラインを保っていたといえる。何種類かのフレーズを作るにしても、その中の自分のベストだと思う物と社長がベストだと思う物は違うものだったりはするが、こっちでどうしても嫌なものは最初から作ろうともしないし、社長に発表もしないので、どうしても納得できない作品や不本意なまま作品化されることはなかった。こういう点でのストレスは幸いにもなかった。だがしかし、歌い方を変えてみろ、と言われた時はかなり根本的なことだったし、ショックだった。これまでも曲ごとに微妙に歌い方を変えたりすることはあったが、そんなレベルではなく、このとき言われたのが「今、売れてる邦楽アーティストの物マネでいいからそれっぽく歌え」ということだった。この発想は今のJポップシーンの中ではびこる最悪ともいえる考えだと俺が常々思っていたことだった。作り物の個性、とかアーティストとしてのプライドがないとか、そういう正論は少し措いといて、そういうことじゃなくても単純に商業的な成功のことだけを考えたとしても間違ってると思う。例えばもう10年以上もの間脈々と流れてるバンドヴォーカリストの、ある歌い方の原点を氷室とすると(もっと遡ると西城秀樹ともいうが)それを教科書として模倣から入りヴォーカリストになった人はいて当然だが、模倣から入りつつも、それで何度も何度も歌いこなしてさらに別の参考書ともいうべき他の何人かの好きなヴォーカリストも自然に吸収して、そこに自分というフィルターを通して発酵させてはじめてヴォーカリストといえるんだと思う。否、ヴォーカリスト云々はともかく売れるVOというのもそういう人だと思う。GLAYTERUや、B’zの稲葉にしても、もとは氷室だったかもしれないが、ちゃんと自分のフィルターを通して消化してから大ブレイクに発展したんだと思う。(TERUに関してはちょっと誉めすぎかな?)しかし中には本当にただの物マネで終わってる、しかも売れてる人もいるが、それは楽曲が良かったり、ルックスが良かったり、プロモーションがうまかったり、という別の要素で売れたんであって、「声が○○みたいだから」っていう理由で売れてるわけじゃないと思う。一般リスナーはそこまでバカじゃない。「○○みたい」なものを買うくらいなら、その本家である「○○」を買うのはあたりまえで「○○みたい」というのはむしろデメリットでしかない。だから逆に俺が思うのは楽曲もルックスも良く、プロモーションもうまくいってそこそこブレイクしてるアーティストはなんてもったいないんだろうって思う。少しだけでもその人なりのオリジナリティーを注入していれば大ブレイクしてるのに・・・なんてことを昔からよく考えていてこれは今も変わらない。もう一度いっておくとこれはアーティストとしてのプライドやアイデンティティーのことでなくビジネスとしての音楽を考えた上での話でこれは作品にも同じことが言えるが、歌い方には特にいえることだと思う。歌い方をわざと似せてるというのは普通の人でもわかることだろうから。

話を戻そう。「今の有名どころの日本人VOで気に入ってる奴を言ってみろ」と社長に言われてまずこの時点でとても考えてしまった。というのも俺は楽曲を好きになるほうで、あまりヴォーカリストという見地からは音楽を聴いてこなかったということに加え、さらに「売れてる」という条件付きなのが困った。さんざん考えた挙句、スガシカオの名前を出した。すると社長は、スガシカオを意識して歌ってみろ、と・・・。他にもB’zっぽく歌えないのかとか清志郎の影響を受けたVOはだいたい売れるとかの理由で清志郎を意識してみろとかいろいろと言われた。もちろん清志郎は好きだし稲葉も嫌いじゃないけどクセの強い声の人を真似るとすぐにB級に聞こえてしまうということを俺は思ってるが、社長はそうは思ってないらしい。ニュアンスを変えて何通りかのテイクを入れてみたが、そもそもスガシカオっぽい「ちっちゃいガッツポーズ」ってどんなんだ?とか自分で突っ込み入れたりしておかしくなったりした。そして一番最後のテイクに半分ヤケクソでとにかくなんにも考えずに思いっきり歌ったラフなものを入れといたら、これを聞いた社長が「このテイクは誰を意識した?」と言ってきたので、内心「一番自分らしいテイクです」って言いたかったが話がめんどくさくなると嫌なので「清志郎の更にルーツであるオーティスレディングを意識してアタックを強く前ノリで歌ってみました。」と言ったら「この歌い方でいけ」と言われホッとした。次の日になると社長が「きのうのあのウィルソンピケットみたいな歌い方でだぞ」と言ってきて、オーティスからいつのまにかウィルソンピケットに変わってたのがおかしかったが・・・。

コブシャウヴァージョンの「ちっちゃいガッツポーズ」と違う部分はAメロの他に新たにラップが途中に入るところである。これは社長の案なのだが、これに際して社長からドラゴンアッシュやラッパ我リヤを聞き込めということを言われた。個人的にドラゴンアッシュをいいと思ってないのはおいといて、客観的に考えてもルックスとスタイリッシュな部分(これは確かにカッコいいと思う)と、ライムというより歌詞の内容(個人的にはこれこそ全然いいと思わないが・・・)で売れてるんだろうなぁということはわかるが、しかし、社長が言ってることはラップのセンスの部分、つまりリズムや言葉の乗せ方などをドラゴンアッシュから学べ、というのである。ルックス、ステージング、ファッションセンスを考えずに例えば目をつぶってラップの部分だけ抜きだして考えてドラゴンアッシュが見本になるとは到底考えられなかった。

このようなことを通じてわかってきたのが社長にとっての売れるための音楽への戦略とはいろいろな意味で「後手」にまわってるということである。社長自らが「今は柳の木の下にドジョウは十匹いる!」と言ってて、実情はそうかもしれないが、十匹目のドジョウ狙いで売れるためにはそれこそ強力なタイアップや豊富な政治力が必要で、ここの会社ではそれはかえって難しいことだと思うし、まぁもちろん個人的にメチャクチャ嫌だし、それ以前に俺がそういうことやっても売れない自信が存分にある(笑)。社長が雑誌の日経エンターテインメントを開いて今の音楽シーンの動向を説き、だからこれからはこうだ!と言ってる時点でもうゴテゴテの後手である。日経エンターテインメントという雑誌は、音楽のことをあまり知らないサラリーマンや年配の人向けの読み物で、例えば「女性RBがすっかり世の中に浸透した今、これからは平井堅、ゴスペラーズ、ケミストリーといった男性R&B、またはアカペラグループが来る!」っていう記事を書いたりしてて、「だからもう来てるっちゅうの!(笑)」ってことは音楽をやってる人間ならもちろんのこと普通のリスナーだってそんなことはとっくに知ってることが書いてある雑誌である。もちろんこういう雑誌があってもいいし否定する気もないが、少なくとも音楽を発信する側がこれを見て、これからは男性R&Bだ!なんていうのは本末転倒だし、そういうプロデューサーを俺は心細く感じてしまう。

それからよく社長の口から「うちはメジャーのレコード会社なんだからプロ意識と競争意識を絶えず持ってなきゃダメだ!」という言葉が出て、そこまではいいのだが、「これから先、仮に歌番組に出たとしてAIKOやトライセラと同じ土俵で出るんだぞ、ポルノグラフィティーと同じ土俵で出るんだぞ、実際にそうなって萎縮してる場合じゃないんだぞ!」と社長的には俺にハッパをかけたつもりなのかもしれないが、正直俺には何のモチベーションにもならないし、生意気かもしれないが、そういうアーティストに囲まれても全然、全く萎縮はしない。これはもう絶対に。まぁそれはともかくこういうことをいうこと自体、それは社長の中にあるメジャーの中での自分の会社へのコンプレックスの裏返しだと思えてしまう。

ちなみに俺は自分のことを芸術家肌の頑固者だとはちっとも思っていない。メジャーで音楽をやるということはあくまでもビジネスだということは百も承知である。よく、売れ線を嫌い、どうのこうのいうアーティストがいるが、それならインディーズでやるべきだしシングル出すなよって思うし、メジャーでやる以上、売れることを意識しなくてはならないのはあたりまえだ。一言付け加えると、俺が売れてると思うアーティストの範囲は広い。例えば「俺たちはシアターブルックのような、売れ線じゃないけどいい音楽を目指す」とかいう人がいるかもしれないが、俺から言わせるとシアターブルックはいい音楽をやってると同時に十分「売れてる」バンドの中に入る。商業主義というものと音楽的クオリティーの折り合いはつく、と俺は思っている。だからこそメジャー志向でいた。ただこれまでの自分の作品が全てメジャー向きだとも俺は全然思っていない。変な話をすると俺が作品を作るときの手法というか流派(?)というかを自己分析すると四種類のものに大別できると思う。意識して作ってるわけでもないのだが、そしてこれら四種類のうちの一つがメジャー向きだという自覚があり、当初は社長との思惑とも一致してた。とはいえ超辛口の社長がほぼ全面的に認めてるのは俺の作詞能力くらいである。これまでもいろいろなところで詞に関してはなかなか高く評価されてきたことはもちろん嬉しい限りではあるが、個人的には作曲のほうが自信はあると思ってるのだが、まぁオリジナリティーをわかりやすく打ち出すためには、誰々に影響を受けてるみたいなものがなく勝手気ままに作ってきた「詞」のほうを強調していくのは得策かもしれないとは思った。もともと社長が俺のデモテープを聞いてピンときたのは俺の「詞」と「どこにも属さない感じ」だと実際に言ってたのに、だんだんと、詞はともかくとしても「どこにも属さない」というものがこのままでは薄まってしまうと思った。よく思うことだが、色々なところで募集してるデモテープやコンテストなどで審査する側の人間というのは、みんなそれこそ口々に個性だオリジナリティーだといって、この時はだれかのマネだったり流行りのことをやってたりすると結構落としたりしてるのに、オリジナリティーを認めて、そこを評価したはずなのにいざデビューさせるとなると今度は無難に丸くしようとする。売れるためにこそ、とんがっておく必要があるというのに・・・。これは逆説でもなんでもなく、すごくわかりやすいアプローチの仕方だと思うのだが。ダメ押しの具体例をもうひとつ。漫画家の久住昌之さん(この人が組んでるバンド「モダンヒップ」はコブシャウにとっての数少ないバンド仲間のうちの一つ)が以前、自身のHPの中で「銭湯とジャズ喫茶」について、だいたい次のように述べていたことがある。「銭湯もジャズ喫茶も今はその役割が変わってきている。家に風呂がある人が湯船に足を伸ばしてつかることが出来たりさらなるリラクゼーションを求めて、またCDがメインストリームの今日、アナログ版のジャズをレコードプレーヤーで大音量にして聴くことが出来る場を求めて人は集う」とまぁかなり今自分の言葉に換えてしまっているが、だいたいこんなようなことを述べていた。そしてこれらの経営は(やっぱり苦しいかもしれないが)しっかり成り立っているのである。主流じゃないからこそそういうところの絶対数が少なく客は一極集中する。仮にこのジャズ喫茶の売上と、よくあるタイプの小洒落た喫茶店の売上が同じだとしても、ジャズを大好きでやってる時点で、もう断然ジャズ喫茶のマスターの方が幸せなわけで、のびのびとやってるはずだ。

この話を少しだけ改良すれば立派に俺の考えるメジャーでの戦略にもなり得る。少し改良というのは、やはりこのままでは俺が考えるメジャーとも少し異なる。オリジナリティーを出しつつもやはり売れることを考える、つまり客のことをしっかりと見据える、というのがメジャーだと必要になってくる。例えばジャズ喫茶のマスターとしてはやはり、ヒゲをはやしてるほうが雰囲気出ると思ったら、狙ってヒゲをはやす。この「狙って」というのが重要。さらに「少し無愛想なたたずまい」が効果的ならば、本当は気さくな人であっても我慢して(笑)意識して無愛想にする努力(?)が必要であろう。しかし本当に根っから単に無愛想であったりサービスの行き届かない店にはリピート客は期待できない。あたりまえのことだが、こうやって「狙って」やるまでもなく、本当に気の赴くままにやって、しかも繁盛してる店が一番いいにきまってる。メジャーの音楽シーンでもごく稀に好き勝手本当に本人も楽しみながらやっていてしかも大ブレイクしてる人もいないわけではない。もちろん推測の域を出ないが、俺がこう感じる人は、奥田民夫(これはもうユニコーン時代から現在に至るまでず~っと)、そして(アルバム「ステレオ太陽族」からKUWATA BANDを経由して「稲村ジェーン」までのという限定付で、といってもすごい長期間だが)桑田佳祐の二人位かな?まぁこれは誰もが知ってる人をあげただけなので、こんなに売れてなくても本当に好きなことをやってる例はもっとある(清志郎やオリジナルラブの田島やスガシカオetc)がやっぱり少数だと思う。これらの人たちは本当に究極に幸せでミュージシャン達の憧れのスタンスだと思う。でももしかしたらこの人達にも緻密でしたたかな計算があるのかもしれないが、それならそれでメジャーのアーティストとしてはいっそう尊敬してしまうが・・・。こういった稀有な人々を「長嶋タイプ」とするとしっかりと自己分析が出来ていて「狙って」やってる、しかもすごく努力してる「王タイプ」がやっぱり多いと思う。例えばユーミン、ミーシャ、B’z、ミスチルとかかな?一線級でいるための苦悩はそれはそれは大変なものとうかがえる。

なんだか話が大きくなってきてるが、こんな超メジャーどころをあげるまでもなく、とにかく他との差別化をはかりしっかりと自己分析が出来たうえで常に相手あっての音楽だという意識はジャズ喫茶的アプローチ(?)の中に加えていかなければならないと思う。しかも本来ならこんなこと(狙ってやるとか)を公言しないことが大事だ(笑)。

それと大切なことというか、やはり得なのは、そのアーティストのいわゆる核となる部分がそれ自体にある程度のポピュラリティーを含んでるということ。ポピュラリティーがあるかどうかは誰が決めるか、それはやっぱり結局は自分だろう。自分をとことん客観視して普通の人の耳にはどう聞こえるかを徹底的に考える必要があると思う。俺がいい年してまでメジャー志向でいたのは自分の作り出す楽曲を冷静に厳格に判断して、それでもやはりどう考えても勝算がある、自信がある、と思っているからである。先程、登場してもらった久住昌之氏の相方(!?)で、泉 晴紀さんという人が「ガロ」という雑誌に掲載された「泉 昌之(つまり久住さんと泉さんのこと)デビュー20周年記念座談会」というものの中で述べていたことを中心に、ちょっとそのまま抜粋させてもらうと・・・(ちなみにこの座談会は他に、みうらじゅんさん、根本 敬さんが参加。濃~いメンバーだ!)

みうら・・・じゃ、儲けるためにはどうすればいいんだろう、何が原因で儲からないんだろう。

泉・・・それが自分でも不思議なんだよ。売れておかしくないマンガなのになんで売れないんだろう。

久住・・・泉くんは昔から一点の曇りも無く、そう思っているからね。

泉・・・どう考えても不思議なんだよ何で売れないのかわかんない。いや、まじめに思ってるんだけど、泉 昌之の本はその辺で百万部売れてる本と較べても全然内容は負けてないよ。

みうら・・・うん負けてないよ。

泉・・・だから売れたっておかしくないんだよ。

みうら・・・おかしくないよ。

泉・・・でしょ?売れないのが不思議なんだよ。ミステリアスな話だよ。

久住・・・ミステリアス(笑)

みうら・・・そこまでいうか(笑)。いままで一本もはずしたことはない?

泉・・・そりゃ結果的にハズしてるマンガも描いてるけどさいっぱい。でも俺はバッターボックスに立ったら十割だと、全部ホームランだと思って描いてるから。

ずいぶん長い引用になってしまったが、この泉さんという人、まだお会いしたこともなければ、もちろん話したこともないが、この人が言ってること本当~~にもう死ぬほどよくわかる。まさに俺がここで言いたいことをそのまま代弁してくれてるような気がしてならない。百万部売れてる本と比べて内容は負けてない、というこの「内容」というのはクリエイティブな部分(これは当然として)のことだけじゃなく、ポピュラリティーを含んだ内容という意味でも負けてない自信が、それこそ「一点の曇りも無く」あるということなのだ。だからこそ職業作家なのだ。一般的に「ガロ」という雑誌は反主流派雑誌の代表と認知されてるかもしれないが、そこで執筆されてる作家の人達の中には自分はマイナー作家だ、という自覚のもとでプライド持ってやってる人(花輪和一さんなど)もいて、それはそれでカッコいいけど、この泉さんのようなタイプだっているのだ。俺は自分自身この泉さんの考えのほうに強烈に共感する。メジャーの発想という点で。あたりまえのことだが、自己を客観視することもなく、ただ自分こそが最高だと思い込んでいる素人とマンガ活動二十年の泉さんとは全然違うことは言うまでもない。この人のマンガにポピュラリティーがあるというほんの一例を挙げるなら、まず俺はマンガに関しては当然素人である、その素人の俺が、ごく一般人の俺が「泉 昌之」のマンガは(久住さんと知り合いだということは当然抜きにして)本当に純粋におもしろいと思うのだ。久住さんと話す時はどうしても音楽の話が中心になってしまい、久住さん本人に向かって直接「マンガおもしろいですねー」と言ったことが実は無い。何だか単に「おもしろいですね」っていうのも社交辞令的というか含みもなく軽い感じがして、俺がおもしろいと思っているレベルはそんなに軽いものじゃなく、そりゃもうかなりおもしろいわけでこのことを伝えるにはたくさんの言葉を必要とするし、何かと饒舌に感想を言うのもなんだかおこがましいので言わないでいるのだ。

なにやら話しが飛躍してしまったが、さっきから長々と述べてることは、つまり俺にとってのメジャー観、そして俺自身がメジャーでやっていくための戦略のようなものなわけだが、これは特に少数精鋭の会社であればこそさらに有効になる、と最初は喜ばしく思っていた。しかし具体的な方針、方向性を決定するのはもちろんプロデューサーである社長だ。資金をやりくりするのも社長である以上最終決定権は社長にある。これは当然のことだ。俺はプロデュースされる立場の人間で自分の意見や考えが反映されるためにはある程度の実績と経験が必要で、でもこのままだと良い実績は残すのは困難で、良い結果を出すためにも先に述べた俺の考えが理にかなってると思っているのでこのへんのもどかしさは、一般会社員でも同じものがあると思う。例えば、会社で企画担当の新入社員、いやまだ研修生の身でありながら、企画部長の考えと違う、いや社長の考えと違うというだけで、その新入社員はそこの会社を辞めてしまうだろうか?答えはまずNOだ。生活をかけた仕事なのだから。俺はどうか?全く同じである。生活をかけた仕事に変わりは無い。これまで言葉を尽くして述べてきた「音楽的な基本方針の違い」が直接的な原因となって俺はこのレコード会社を辞めたわけではない。(これで辞めたという方が格好いいとされるんだろうけど)。本当に長々と述べてきておいて難だが、これから述べることのほうがやはり決定的な要因でしかもシンプルなことである。それではこのシンプルにして核心の部分について述べることにしよう。


~第三章・・・核~

ここからの部分をまず最初に書けばよかったのだが、なにより今自分を少しクールダウンさせないことには、正確に言い表す自信がなかった。今でもまだ冷静になりきってはいないが、書いていくなかで少しは整理されていく気もするし、そのために書いているようなものだ。とにかく書き始めてみよう。

俺がこの会社に通っていたときの具体的な一日の内容を述べよう。まず音楽的な作業について。これは先にも少し触れたと思うが、別の例をもうひとつ。例えばヴォーカルラインの裏メロのコーラスのライン(歌詞付でハモるのではなく、アーとか、ウーとかの4声でハモってるもの)を入れようということになって、そのフレーズを数パターン考え、2Fで録音し、MDに落としたものを社長に聴いてもらうために1Fに持っていく。すると社長はだいたい誰かと電話してたり、別のアーティストに説教してたりする。この間、ひたすら待ってることになる。時間にして優に一時間はあたりまえで2,3時間待つこともしばしばある。そしてようやく聴いてもらう時間が出来ると、その間、時間にして一分位。そして「もうあと5つ考えろ」とか言われることになり、ここですぐにまた作業に入れるならいいほうで、だいたいはそこから説教に発展していき、その間に、電話が入ったりするとそこでまた一時間とかを、ただそこで立って待ってることになる。電話が終わるとまた説教は続き、やがて「今から30分以内にフレーズ考えて録音してこい」と言われ30分後に持っていくとやはり社長は何かをしてて、再び聴いてもらえるまでまた待つことになるのだが、どうであれこっち側は30分以内に作業を終えてなくてはならない。30分とはいえレコーディングで4声全てノーミスだとしても、プレイバックやMDに落とす工程と合わせて、最速でも20分以上かかるので、フレーズ自体を考える時間は10分もない。特にこの時のようにハモりの場合、俺は上でハモるラインは比較的すぐ主旋律をききながら歌えるほうだが、下でハモるラインというのは音をギターなどで確認していく必要があって、このへんで更に時間をとられるため、実際にメロを考える時間というのは、(冗談じゃなく)一分位である。ただ、この短時間のことを嘆いてるわけではない。これら15分の作業またはラインを考える1分の時間の、頭のフル回転たるや、脳ミソがはじけそう(!?)になるが、この行為はかなり自分のためにもなっていたと思う。俺が言いたいのはやはり何時間にも及ぶ待ち時間のことだ。もちろん、俺のためだけに社長が存在してるわけではないのはあたりまえで社長側にもやらなくてはならないことがあるのも当然なのだが、待っている間、やはりどうしても電話の内容など俺の耳に入ってきてしまい、それがまるで生産的な話ではないのだ。俺が会社にいる時間はだいたい夜11時~朝7時位なので、取引先(?)等の「お客さん」が電話の相手だったことは2回だけだったと記憶している。それはともかく、せめて待ち時間の間も引き続きフレーズを考えたり、何らかの作業をしていたいのだ。ただ休んでるつもりは毛頭無い。社長の手が空いたら2FREC ROOMに内線で呼んでくれさえすればどんなに時間的に効率がいいことか。

こうして結局は朝7:00頃になってワンフレーズの決着もつかないまま、翌日に持ち越しとなる。そして他にももちろん歌詞直しや、全く別の新曲作りなど、ありったけ家でやることになり午後には塾があるので削るべきは当然睡眠時間ということになる。塾はこっちの都合で勝手にやっているのだから、会社に対して塾を言い訳にしたくなかったし、塾に対しても続けてる以上音楽をいいわけにはしたくなかった。そもそもレコード会社での俺の収入はゼロなわけで、唯一リリース半年後に印税が入ってくるだけである。生活のためにも塾は続ける必要があった。

PAさんから聞いた話だが、ここの会社に所属するアーティストで仙台や神戸などのライブハウスに営業をしによく行くバンドがいて、そのバンドは自前の機材車を持っていて、そこにメンバー全員が乗ってその地方に行くまでのガソリン代等の経費は自己負担なのだそうだ。食費や宿泊費も自費だとしたら、確実にそのバンドはまず金銭的に破産すると思うのだが・・・。このバンドもやはり会社から出る給料はもとより、経費もゼロで、印税収入のみなのである。そこのリーダーは俺と同じ年齢でやはり保護者がいるわけでもないので、クリーニング屋でバイトをしてるそうである。1Fの事務所では何度も接触があり、社交辞令的挨拶をする程度だったが、一度2FREC ROOMでバッティングしたことがあって、それは五分くらいの出来事だったのだが、お互いに励ましあい、PAさんも交え語り合えた時はなんだか戦友と出会った感じがして胸がいっぱいになった。

社長はよく、「ここにいるアーティストみんなに均等にチャンスを与えるわけではない。まずはこの中でしっかりポールポジションをとれ、競争なんだ。みんなライバルなんだぞ!」と俺に言ってきたし、所属アーティスト全員にも言ってるらしい。それはその通りだろう。正論だと思う。遊びじゃないんだから。そんなことは俺も他のアーティストもわかっている。しかしもっと大きく、音楽業界全体で考えた場合、やはり同じ家の人間、家族みたいなものであるはずだ。敵視することはやっぱり出来ない。お人よしとか奇麗事じゃなくて・・・。あの時の5分くらいの対話の中で、「俺、今、点滴打ちながらやってるんすよ。」と言ったリーダーのいるあのバンドを俺は今ももちろん心から応援してるし、そしてこのバンドとPAさんが少なくともまだこの会社にいる間はこの会社の名前を出すつもりはない。

他にアーティストとしての外見上のことについて述べよう。ここの会社にはメイクさんやスタイリストさんがいるわけではないので、服装や髪型を決めるときにまず、ファッション雑誌やヘアカタログの切り抜きなどで社長にプレゼンし、その中からだいたいのコンセプトを決めていくことになっている。雑誌にあまりピンとくるものがなく、俺は(ポリス時代、シンクロニシティーの頃の)スティングやレニークラビッツなどのジャケット写真を持っていった。すると社長曰く、写真だけじゃなく、ヘアースタイルであれば実際に美容室に行ってその通りにセットしてこい、とのことだった。翌日、早速美容室に行って、スティングの写真を持っていき(笑)、セットしてもらい社長に見せると、まだ写真通りではないから翌日また行ってこい、ということでこのようなやりとりが3回続いた。生まれてこの方三日連続で美容室に行ったのは初めてである(そりゃそうか)。特に美容室二日目、これまでの疲労がたたったのか、髪を金髪に染めてる最中に突然、目の前が真っ暗になり、冷や汗が流れ出してきて、つまりは貧血なんだが、少しの間シャンプー台の椅子で寝かせてもらった、ということもこれから先二度とないだろう。三日目の美容室では完璧に覚えられていて、「昨日は大丈夫でしたか?」と物凄く深刻に心配してもらったりした。

もういうまでもないが、この三回の美容室の代金、洋服を買う代金は自己負担である。金はまぁともかく、なにより時間の代償が大きい。音楽的創作活動も同時進行でなくなるわけもないので、結局、睡眠時間が例えばこの三日間はそれぞれ一日一時間半だった。洋服を見せるにしても何種類も持っていって、実際に着てみて社長の目の前でプレゼンする。会議室で社長が社員となにか話してる横にちょっとしたしきりを設けて、そこで何度も着替える。着替えの最中に社長の話し声が漏れてくる。「うちは利益率90%だから」というような内容だった。そりゃそうでしょう、経費ゼロなんだから、と俺は思いつつも、着替え終わると見せる、を何度か繰り返した。

話は前後してしまうが二回目の美容室に行って再び社長のダメだしが出た日(つまり貧血になった日)、「明日もう一度美容室に行って5時に来い」と言われたことがあって、俺は「明日は塾のほうで7時から授業が入っているので5時半にはいったんここを出なくてはなりませんが大丈夫でしょうか?」と尋ねたところ、「作業が遅れてるのはオマエの責任なんだぞ!何いってんだ」と一蹴された。そして、「これから塾のことは少し(辞める方向で)考えたほうがいいぞ」とも言ってきた。もちろん物理的に両立が不可能なのであれば、会社にも塾にも迷惑をかけるので、そういうことも考えなければならない日がくるかもしれないが、まだ両立が不可能な状況だとは思えなかったし(肉体的にはかなり厳しかったが)、なにより当初、塾はしばらく続けていい、と言ってくれたのは社長だったわけだし、前日までに明日の予定が決まらないことは年に1、2度しかないと言っていたはずだ。それともこの日が年に一度の超重要日だというのだろうか。それを言われたのが夜というか朝の4時頃だったので塾の社員が来る昼一番に電話をし、状況を包み隠さず正直に説明し、授業も振り替えという形にしてもらった。そしてこの日、約束通りに午後5時に会社に行くも、社長が来たのが6:30過ぎで、来たのは良いがすぐ別のミーティングに入ってしまい、ようやく俺に取り合ってくれたのが夜の10時、結果論かもしれないが、塾を休む必要はなにもなかったのである。この件について何も言及しなかった社長に、俺はいいが、俺の現状を理解してくれて応援もしてくれてる塾(生徒も含む)が馬鹿にされてる気分がして腹がたった。

他にもCDジャケットに関してだが、外見上のコンセプトがなかなか決まらず、このままだと写真も間に合わないので「イラストなりデザインなりの案も考えてこい。明日まで!」と言われ、何かの写真だと肖像権、著作権の問題がからんでくるので、やはりオリジナルのイラストやグラフィックということになる。そういえば確かにこの会社から出ているアーティストのCDのジャケットはイラストが多いなぁと、この時気がついた。会社にはやっぱりというか、デザイナーさんがいるわけでもないので、アーティスト本人やバンドのメンバーが実際に自分で描いてることが多かった。俺は本当に自慢じゃないが、この手のセンスは全くといっていいほど無く、ひたすら考え込んでしまったが、考えたところで例えば「小さな悪魔がガッツポーズしてる」というアイディア(これもかなりベタだが)が浮かんだとしても、それを表現する画力が俺には無い。少なくとも一日というか半日では絶対に無理だ、ということで結局また知人友人を頼らざるをえず、コブシャウのドラマーかつデザイン担当(!?)の、おなじみ時さん(「コブラの快楽」のジャケットは彼の作)と美大出身のユカちゃん(コブシャウにたま~にコーラス参加してくれる歌姫)に概要を説明し、協力してもらうことになった。

しかし、その日はそれぞれに日中は仕事があるので作業に入るのは帰宅してからの僅かな時間である。夜11時に俺は会社に行くことになって、逆算すると9:30には俺の手元になければならず、この2名はこの時、締め切りに迫られる超売れっ子デザイナーの如き切迫感にかられながらも、とにかくバッチリと提出してくれた。「握りコブシ」の絵や「小悪魔」など数枚の原画を手にして、それを見てたら何だかありがたくて少し泣きそうになった。俺はこれら「超重要書類」を持って会社に向かった。

もちろんこれらのどれも採用にならない可能性はあるわけだし、これから全国に出回る商品として、厳しい目で判断されることは当然だし、この旨は2人にもあらかじめ言っておいた。しかし俺が社長に手渡そうとすると、社長は「明日、暇な時にでも見るからその辺に置いとけ」と言ってきた。いつもそうだが、明日までに、とか一時間以内に、とか十五分以内にとか、とにかく「至急!」というのが社長の口癖である。しかしどうであれ、言われた側はその締め切りを守るというのが、この世界のルールだと思っていたし、今回も「明日まで」と言った夕べの社長の期日をこっちは厳守した。時さん曰く「あと2,3時間でもあれば・・・」と漏らしていた中で。確かに社長としてはこの半日のうちに起こったこの数枚が出来上がるまでの顛末を知らないのはわかっているが、社長の机の上に無造作に置かれたこれら数枚の原画を見てたら俺は猛烈に頭にきた。「今日はもう帰ります」といい、初めて社長に反抗的な態度をとった俺は、会社をあとにし、この時、俺の中に「この会社にいる意味はあるんだろうか?」という考えが本格的に浮かんだことを今でもはっきり覚えている。演奏に参加してくれたメンバーしかり、さっきの塾の話でもそうだが、俺の現状はかなり多くの協力者のもとで成り立っている。自分一人ではどうすることも出来ない事が多いからこそ、俺はこれらの協力者を徹底的に信頼し、彼ら(彼女ら)に被害が及ぶようなことがある場合はもちろんだが、本人たちがその場にいない時の被害(陰口など)にしても徹底的に抗戦する。今回、実際に彼(彼女)が攻撃されたわけではないことはわかっている。本人たちにもそういう意識はないだろうし、俺が腹を立てる筋合いはないのかもしれないが、とにかく猛烈に腹が立ったのである。これは「仲間を大事に」とかいう美談というより、俺がエゴイストである故の気持ちに近いような気がする。というのは、さっき「協力」という言葉を使ったが、それがなくてもなんとか自分で出来ることを「協力」されてそのサービスに感謝してるというよりも、それが無くなったら成り立たないものを「受けて」いるわけだから、それらを含めて自分なのだ。一心同体なのだ。だからこれらのことにだまっていたら自分自身がダメになる。そういうエゴイスティックな、自己保身ともいえる発想だったのかもしれない。とにかくその時は抑えが効かないほど腹が立った。

思えば先程述べた「この会社にいる意味はあるのだろうか」というこの疑問は俺の中ではずっと愚問であるはずだった。「ここでやってみないか?」という誘いに「やってみたいです」と答えたのは俺だし、俺の音楽を認めてくれた社長には何があってもついていこう!という意志もあり、これからは音楽が「仕事」になるということは百も承知だった。この会社にいる意味も何も、やるしかないと思っていた。時折訪れる矛盾、葛藤などは浮かんでもすぐ消すようにしてきた。それに例えば肉体的な辛さなどは中学、高校のサッカー部にいた時のほうが(若さを考えた上でも)やはり辛かったし、理不尽な扱われ方なども一般社会人ともなれば、受け入れなくてはならないわけだし、何より俺は好きな「音楽」をやっているのだ。こう考えると何も問題はなさそうなのだが、だんだんとこの「音楽をやっている」という感覚がまず薄まってきたのである。

例えば楽曲に関する課題が出てやったものを社長に聴いて貰うにしても、はたまたヘアースタイル、服装、その他諸々の件で社長と接触を持つ際にはまず夜の十時までに電話で社長に「いついつの何時に場を設けていただけないでしょうか?」という連絡を入れてアポをとってから全てが始まる。こう書くと何も問題が無いように聞こえるかもしれない。況してや時間をこっちで指定するなんて、とてもアーティスト主導型だと感じるかもしれない。ところが、これが実は全く合理性に欠ける仕組みになっていて、今でも最大の疑問の一つなのである。

まず、夜の十時までに電話ということだが、社長がその場にいて、しかも何の作業もしてないタイミングで直接社長本人に言わなければならないのだ。伝言は通用しない。社長の手が空いた時に折り返しかけてもらうことは出来ず、ひたすらタイミング良く、社長本人がつかまるまでこっちからかけ続けなければならない。社長の出社時間というのは、早くても夕方の5時位で5時から9時過ぎまでは俺はほぼ完全に塾タイムなので、塾終了後一時間弱が勝負となる。9時半頃塾を出て、11時にだいたい会社に行くので電話をするのはその移動中ということになる。ここで気付いてもらえると思うが、摩訶不思議なことに結局のところ俺は11時に会社にいて(ほぼ毎日)、そこに社長もいるのだが、用件を直接言うことは10時を過ぎたならば、認められない。さらに先程の「電話で今後の予定について日時などをこっちで指定する」ということに関してだが、例えばこっちで「明後日の17時でどうでしょうか?」と言ったところでだいたいが「ダメ」と一言返ってくるだけで、そしてどんどんこっちで選択肢を増やしていって結局は社長の言う時間に落ち着く。何故最初から空いてるところを教えてくれないのか不思議でならず、一度たまらず、「社長のスケジュールに合わせますので指定してください」と言ったことがあって、するとその時の社長は「こっちでスケジュールを組むのはすごい面倒くさいことなんだ、とにかく言われたとおりにまずはそっちから予定を組んで出せ!俺はオマエのマネージャーじゃないんだぞ!」と何やら目の色変えて怒ってきたことがあった。以前にきっと何かのトラブルがあったのだろうと思われるが、どんなトラブルかわからないし、それより何より俺にはこのシステムがわからない。他の所属アーティストにしても同じくこの要領でスケジュールが決まっていくので、スケジュール組ひとつですごい時間をとられることになり、それぞれが社長めがけて電話をかけまくることになり、どんどん社長を捕まえるのが困難な状態になっていく。このように何をするんでもアポをとる必要があり、そういう電話に社長自身が追われ、さらに社長は「猛烈に忙しいんだからあんまり時間とらせんな俺に!」という内容の説教がまた30分以上とか続き、その間に電話をかけてきた別のアーティストはその時はつかまらないということになり、ひたすらまた根気よくかけ続ける、とまぁこの謎めいた習慣はいったいいつから始まったことなのだろう。こんなわけで曲直し、歌詞直し、外見上のファッションからなにから全てこういった電話でのアポから始まることになり、各作業の工程に常に相当なタイムラグが生まれ、様様なことがどんどん遅れをとるようになる。肝心な楽曲作りやレコーディングに費やせる時間がどんどん削られていく。

ある日、アルバムに収録する曲のことについて痺れを切らした俺は社長に訊いてみた。すると社長は以前に俺が渡した79曲分のカセットテープを取り出し「まずはオマエが選んでこい」と言って全て返してきた。結局社長はこれらの音源をほとんど聴いていなかったことが明らかになり、あの時の編集作業は何だったのかと思いつつもアルバム曲のセレクトは自分にとっても生命線だと思っているので、今一度、自分がこれまでに作ってきた作品をとことん客観視してさらなる凝縮の選曲に入った。選曲作業を終え出来上がった音源を社長に聴いてもらうまでのアポとりの時点でまたかなりの時間的ロスがあったことはいうまでもない。会社にいる時間だけは膨大で実質的に音楽に関わっている時間はとても短く、社長の説教が多くの時間を占めるという毎日が繰り返す。

ここに何度か「社長の説教」というフレーズを使ってきてるが、「説教」という言葉は少し綺麗すぎるかもしれない。会社のため、アーティストのため、売れるためへの「preach」なのであればもちろんしっかり耳を傾ける。しかし社長のそれは人間性をも欠く態度と言葉で人を陥れ侮蔑し中傷するといったことがしばしば含まれる。自分のところのアーティストに対し逆境に耐える力を植え付けるべく敢えて苦言を呈すというような種類ではないということは、直接その場で体感した人でなければわかるまい。人にはあらゆる間柄(家族・親友・恋人も)を超えて言ってはいけない禁句というものがある。それを言っちゃおしまいだろうという禁じ手の語句(禁句)がある。それらの語句と呼ばれるようなものを一度ならず浴びせられた俺は、社長とは人間的なところから完全に離れてしまった。この禁句の具体的な内容はここには書かないし書きたくもない。だいたいこのようなことを言う社長はいったい何のために俺をこの会社に誘ったのだろう。アーティストは会社の商品、それでいいと思うし、事実商品なのだと思う。この会社のスタッフで俺の本名を知ってる人はおそらくいないだろう。電話をするにしても「おじゃ丸」と言わなければ通じないし、俺のプライベートな事など知る由も無い。それでいい、いやそのほうがいい。むしろその意味では商品であり続けたい。しかし、一般企業にしてもそうだが、「商品」というものは会社の中ではとても大切な物であるはずだ。商品を無理矢理壊そうとする会社があるわけがない。自分の首をしめてるだけなわけだし。おそらくこの会社はアーティストを壊そうという意識は無いのだろう。殴られたり蹴られたりしたことは俺もないわけだし。でもこの会社の商品はアーティストという人間である以上、精神的な暴力にこそ脆いものだと思う。商品を健全な状態に維持するということもビジネスの上では大切なことではないだろうか。

もちろん、アーティスト側が好き勝手やっていいわけもない。どんなに売れて商品価値の高いアーティストになっても、社長やプロデューサーにはもちろんだが、それよりも会社にいる末端の社員に横柄な態度をとったりすることは愚の骨頂で、美意識の無いカッコ悪いことだと思う。そして何も俺は会社はアーティストに対して敬意を払えというつもりもない。この会社にかつて所属していたアーティストのうち二組を除いて今まで何十組もいた全てのアーティストが二年以内、一年とちょっとで辞めていくという実情(会社からの契約解除ではなくアーティスト側から辞めるということ)が様様なことを物語っていると思う。好きな「音楽」を仕事にするチャンスをやっとの思いで手に入れた人間がそれを手放すという決断は辛抱が足りないとかの次元ではない。この会社からデビューし、スマッシュヒットも放ち、名前も知れ渡った某アーティストが二年でやはり辞めてしまい、今はインディーズで活動していて、そのアーティストの今のホームページや当時のファンクラブのホームページで本人のコメントを読んだことがあるが、さすがに有名になってしまっただけに不特定多数の人達が検索するHPのためか核心部には触れられておらず、メジャーを志す人にはもちろん、一般の人もあれを見た場合、「何を甘いこと言ってんだ」って思われてしまうかもなぁなんて、心配(?)もしてしまうが、俺は今、彼らの痛々しいまでの本当の気持ちをわかっているつもりだ。わかってるつもりだ、などと既にブレイクした人に対してブレイクはおろかデビューもしてない俺が共感するのもおこがましいが・・・。


~第四章・・・O-ja丸 消滅~

さて、そろそろ話を収束させに入ることとしよう。期間にしてみればとても短い、ほんの数ヶ月だったかもしれない。その中で俺は何度も何度も考えた。会社側から契約を解除(そもそも契約はまだだったが)されるならわかるが、まさか自分の方から辞めるなんていう発想は当初本当に最も自分からは遠い考えだった。それがこうなるまでのいきさつは、今まで述べてきたことが全て一体となった結果なのだ。例えば最初の方で述べた、この会社での戦略的アプローチではきっと成功は出来ないだろうというような会社やプロデューサーの資質の問題、あるいは俺の考えとの相違という部分、この問題だけならば辞めるわけがないし、まずはこの世界に身を置いて動いていくなかで結果を出すべく色々と模索していったことだろう。そして何より俺に声をかけてくれた社長、俺の音楽を認めてくれた社長にいい思いをしてもらうためにも、この会社を大きくするためにも、もちろん自分が生活するためにも「辞める」なんてことはありえなかった。他に収入や生活の問題にしても同じことが言える。収入がデビュー半年後に入る印税のみで、それまでの間は会社に行くまでの交通費や食費(まぁ食べる時間などないのだが)から何から見事なまでに一円たりともお金が出ることはなかったので、当面は完全な赤字。ゆえに生活のためにも塾を減らすわけにもいかず、だんだんと体力的にも不具合が生じてくるのが実感としてあった。そして例えばレコーディングでのVOの本番録りにしてもこっちのコンディションなどは全く関係なく、ある日突然「その時」は来るのだが、プロである以上コンディション管理も仕事なのだからという以前にそのコンディション管理をしようにも物理的に出来ないというのが現状であったが、これにしても憲法で保障(笑)されているような最低限度の生活が出来れば(「健康で文化的」ではなかったにせよ)、好きなことをやっている以上、やっぱり続けていたことだろう。もちろん俺だって他のレコード会社の給料体系の平均値などすでに業界にいる知人や書物から情報は得ていて知らないわけではない。ここの会社は流石に超例外であることも知っている。しかしやはり俺は他でもなく、この会社から声がかかったわけだし、比べたりしたくはなかった。

そして社長から筋の通った人間的な扱い(商品としてでもかまわない、とにかく筋の通った扱いという)をうけなかったことにしても、やはり自分の夢、生活のために自分の中で押し殺してすませていたことだろう。

これらの要素がどれか一つだけだったり、いや全部でなければなんとかして踏みとどまろうとしたかもしれない。しかし、これらの要素が全て一体化した時、ついには一筋の光のような物すらも見えなくなってしまったような気がした。作品作りのスランプに陥ったり、創造性、独自性の部分と売れ線の部分での葛藤に悩んだり、プロモーションやキャンペーンやレコーディングで忙殺されることにどんなに憧れたことか。これらよく言われるアーティストの悩みが俺にはとてもまぶしかった。

さらにたちの悪いことに俺は、この社長がいる会社に利益をもたらしたくない、という思いも強く出てきた。まだ売れてもいないうちに難なのだが、これはつまり売上枚数が増えていったところで俺は喜ばなくなるということだ。こういう考えになっている自分がまたとても嫌でしかたなかった。最初俺の考えは、よくブレイクしたりしたアーティストは契約が切れると移籍したりフリーになったりするが、俺は仮にブレイクしたとしてもずっとこの会社にいよう、そういう時期が来てそうすることによって俺を見出してくれた社長への恩返しが出来ると思っていたし、ぜひともこの考えを実現させるためにも、まずはブレイクしてこそ、これは効果があるのでそのためにも良い結果を出そうとしてた。このような当初の考えからどうして一転して「この社長がいる会社に利益をもたらしたくない」という全く逆の発想になってしまったのか、その理由が自分ではっきりしてるだけに虚しい。

メジャーの話が来てからはやはりまず最初にコブシャウのメンバーに一部始終報告し、その時のメンバーは全員が両手を上げて喜んでくれたし、かつてのJIVE JUNKのメンバーをはじめ音楽関係の仲間達からも本当にひとかけらの妬みみたいなものもなく「悪魔に魂を売ってしまうのか!」などという(笑)人もなく、もうただひたすら純粋に喜んでくれる人達ばかりだった。もちろんコブシャウの一般のお客さんもである。激励のメールもたくさん届いた。文字通りの「友情出演」でレコーディングに参加してくれたメンバーに対してはせめてCDのクレジットに名前だけでも載せたかったし、アレンジのところには「コブラツイスト&シャウト」の名を載せることが最低限のメンバーへの報いだったし、その他応援してくれてる仲間やお客さんに対しても、まずはデビューしてCDを出す、という行為だけでも意味のあることに思えた。そしてこの多くの人の期待を背負ってる、ということだけがわだかまりとして残ったとき、「一度しかない人生だろ、誰のための人生だよ」というあまりにもありふれてシンプルな考えに行き着いてしまった。やっぱりエゴイストだ。

ここに書き綴ってきた「辞めた理由」をたった一言で表すならばやはり「ハッピーじゃない」ということに尽きるのだろう。このままでは今はもちろんだが、これから先もハッピーになる可能性を感じなくなってしまった。幸福=生きがい=音楽 幸福になるための一つの手段がメジャーの世界かとは今でも思う。音楽をフルタイムで持続してやっていくためにメジャーという考えは確かにある。しかしメジャーの世界にいることだけで幸福だとは絶対に思わない。音楽をやるためにメジャーになるのか、メジャーになるために音楽をやるのか、この違いはあまりにも大きい。

俺のデビューシングルの流通を担う某有名親会社への新人紹介プレゼンテーションの二日前、トラックダウンとマスタリング、そしてジャケット入稿も直後に控えていたその時、俺は決意を固め社長に報告した。親会社への発売発表をした後で俺が辞めたとなればこの会社の信用は丸潰れとなるし、トラックダウンとマスタリング等の作業に関してはそれらの作業は初めての外注となり、初めてコストが発生する。これらをやった後に俺が辞めた場合やはりかなりの損害が会社に及ぶことになる。会社に損害が及ばないように配慮して辞めた、なんて言えばそれは嘘になる。自分自身のために、この会社に汚点など残したくなかった。それだけだ。

そもそも未だに契約を交わしていなかった。この会社はデビューCDリリース直前にアーティストと契約を交わすことになっていて当初は何故そこまで引っ張るのか(まぁ薄々気がついてはいたが)と思ったものだが、これも今となっては跡を濁さず去るということに役立った。俺がこのレコード会社に所属していたという経歴は一切なかったことになる。

かくして俺が社長にこの会社を辞める(契約してないのに辞めるという表現も適切じゃないが、)と言った時、社長から出た言葉は「賠償金を払え」ということだった。俺の外注コストは正真正銘ゼロだったが、社長の言い分は違った。今までに俺に対してかけた時間や自社スタジオ使用時間を金額に換算すると相当な金額になるんだ、ということを言ってきた。今すぐここで誓約書を書いていけ!とまくし立てられた。「そうじゃなきゃオマエの家や塾の方でも何でもこっちから行くことになるし、こっちだってヤクザみたいに脅したりしたくないんだから」と、「脅し」てきた。所詮はこういう人間だったのだ。俺は怒りよりもこういう人間に人生を捧げなくて本当に良かった、と自分の判断が確信に変わったことに妙なことだが安心した気持ちになった。

いや、でも安心ばかりしてる場合でもないようだ。まず、どうであれ少なくとも金額がはっきり書かれた明細書を提示してこない限り、こっちで誓約書など書けるはずがない。近くにいた幹部の女性に「おじゃ丸くんってさっきから金額のことばっかりきいてるよね」と嫌みを言われたり、社長は「金額だって別にオマエが払えない額じゃないんだ」というだけで具体的な数字がでてこない。それを出すにも時間がかかるだろうから、それを見てからにさせてほしいと言っても「これは人間としての誠意の問題なんだ、とにかくまずは誓約書を書け!」などと言ってくる。「誠意」という崇高な言葉を社長が使うと本当に吐き気がしてくる。このような押し問答が続く中、なんとかして後日明細は送ってくるということでその日は決着がついた。そして後日になって明細書が送られてくるでなく、また電話があった。同じことの繰り返しになった。こっちはとにかく文書で送ってほしいという旨をひたすら繰り返してるうちに結局この話は無くなった。法的には何の効力ももたないこの支払いで、文書として証拠を残すと確実に会社側は不利になるということは社長も気付いてないはずはなかった。やりとりの中で社長は「今までにもこういうケースは何度かあったけどちゃんと穏便にすませてきたんだから」と言ってたが、いわれのない賠償金を支払った側にしてみれば穏便でもなんでもないだろう。それでも払わざるを得ないと思って払ったかつてのアーティスト達に俺は深刻に同情する。この件では俺なりのケジメはつけたつもりだった。これがもし外注コストはもちろん、美容室代、衣装代、交通費、食費、レコーディングに参加したメンバーへのギャラ等のコストを会社が一円でも出していたり、またはこれまでに一円でも俺が会社から報酬を受けたりしていたならば話は別だが、そうではない故、会社に対して金額にかかわらず心情的にも支払うつもりはなかった。

以前、社長が俺に「今の若い奴は忍耐力がまるでない。新入社員もすぐに辞めていく」とコボしていたことがあったが、その数のあまりの多さを冷静に考えてみて、どうして自分のやり方に問題があるのではないか?ということを考えてみないのだろう。アーティストも社員も(二人の幹部は除く)誰も明るい気持ちでいられないこの会社を経営してる社長はそもそもハッピーなのだろうか、今となっては訊いてみたい。

俺の芸名の表記は「 O-ja丸 」でいくということでその意味はまた今度教える、と言われていたが結局それは聞けないままである。そして勿論これからも一生謎のままだし、少なくとも「 O-ja丸  」の表記で俺が音楽界に出ていくことは永久に無い。


~第五章・・・変化する幸福~

ようやく今ここまでの文を読み返してみた。ここまで本当にとりつかれたように一気に書いてきて、ろくに推敲もしてないこともあってか同じようなことを二回書いてたりするのがおかしいが、記憶が薄れないうちに、例えば社長の言葉の引用なども限りなく一字一句再現してみたかったし、自分のためにも早く忘れたいことと、いつまでも敢えて鮮明に覚えておきたいことがあり中でも覚えておかねばなるまい、と思うことを書きなぐった感じである。思えば、まれに見る孤独な時期で同士がいれば後々になって「あの時はああだったよなぁ」とかなんとか酒でも飲んだりして語り合えるものだが、そういうわけにもいかないし、これを書いてるという自体がまた完全孤独な作業でもある。第三者が読んでもわかるように日記というよりエッセイ調に書いているが正直言って一番読んでほしいのは未来の自分である。まぁこれを書いてるだけでも十分深く自分の脳裏に焼きついて将来読み返す必要のないくらいにインプットされた気もするのだが、ともかくまずは最後まで書くことにしよう。

最近の俺はここ数ヶ月の生活の反動とでもいおうか、家から駅までの行き帰りの道を毎回別のルートを通って、いろいろと遠回りをしながら歩き回ったり、あるいは電車に乗って今まで降りたことも無い駅で降りたりして、完全無目的であることを楽しんでいる。今までは歩いてる時は必ず音楽を聴いて、特にこの数ヶ月では電車の中やちょっとした空き時間は常にそれこそ寸暇を惜しむように作詞やアイディアの捻出をしてきたが、今はとにかく歩いているときは本当にただ歩いている。おなじみの風景や道もちょっと別の方向から歩いてみるだけで新しい発見があったりして清々しい気分になる。なんだかすごく年寄りの散歩のようなことをしてるが、俺はきっと散歩の妙味を知り尽くした老人になれる自信がある。

ところで俺は少し時間がたった今でも、自分がとった選択には一片の後悔もしていない。そしてこれまた確かなことは、音楽を嫌いになったわけでもなく、これからも音楽をやめるなんて発想などこれっぽっちもないということである。これからはさしあたって働くなどして生活の基盤を作ろうと思っているが、「俺も昔は・・・」とか言う台詞は言いたくないし、趣味は音楽ですなどと言うようにはなりたくない。売れてる音楽をバカにしたり、現代ミュージックシーンを嘆いてみたり、突然妙にシブイ音楽やりだしたり(笑)するつもりもない。

ちなみに今俺は大阪、神戸の旅の帰途、新幹線の中である。

兵庫県西宮市

というところで俺は小6の夏から中3の夏までの間住んでいて、ここでの3年間で俺はギターを弾き始め、オリジナルを作り始め、親友と一緒に既にライブもやり始めた。21年前への原点回帰の旅といったところか。その親友はこの一連の俺のメジャー話の始まりからなにから何も知らず、話すととても長くなるし、せっかくの再会をこの話だけで終わらせたくなかったので詳しくは文章にしてそれが出来たら送るから読んでほしいと言い、色んな他の積もる話に花を咲かせた。そして今帰りの新幹線で一人になってこれを書いている。

俺はメジャーの世界が嫌になって辞めたわけじゃなく、所属しようとしてたレコード会社が原因で辞めたということはさんざん述べてきたが、ではこの会社以外のメジャーの会社は俺が思い描く理想の場所なのだろうか?実際にメジャーの某レコード会社にいる大学の先輩や事情通の人から聞いたことを踏まえて考えるとやはり全ての面で俺が通ってたところは明らかに異常である。しかし、他の会社(プロデューサーも含む)が手放しで素晴らしいところだとも俺は思っていない。思わなくなったといおうか、俺のほうの考えが変わったということだ。メジャーで活動していくためのライフスタイルそのものに疑念が出てきたとでもいおうか・・・。時さんが前に言ってたことがある。「紅白は出るよりも家族でコタツで見ていたい」と、その意味がなんだかとてもわかるようになった。俺はこの度メジャーの世界に片足(の爪の先くらい)を突っ込んだ程度で、紅白なんて話してる場合じゃないんだが、紅白を例にださずとも、ただ歩いてたり、喫茶店にいたりしても完全にはプライベートということはなくなるんだなぁということとかシミュレイト出来てしまい、もちろんそんなことは最初っからわかってたことなのだが、やはりそれをより現実的に考えるようになるといよいよ切実に嫌なことだと具体的に思えるようになった。CDはたくさん売れて、ライブにも多くの観客に来てもらいたいが、その実、顔とかは出来ることなら知られずにいられれば一番いいのに、などとどうしようもなく自分勝手な願望があるが、ともあれこのブレイクはおろかデビューもしてない人間の変な皮算用ではあるが、かなりリアルにシミュレイト出来てしまったのは事実でそれがかなり嫌だったのも事実である。利権がからみ、ろくでもない人間との接触やしがらみの中、音楽以外の出し物みたいなものに何日も時間を費やし稽古したり、心にも無く「白組頑張れ」とか言いながら年を越すのと気の合う仲間や恋人とすごすのでは幸福の度合いがまるで違うだろう。余談だが、近藤房之助さんがBBクイーンズとして「おどるポンポコリン」でレコード大賞をとって紅白に出た後その足で高円寺のJIROKICHI(50人も入れば満員になるライブハウス)のセッションに駆けつけたというのはつくづくいい話だと思う。

話を戻すと結局、幸福の最上級の形が変わってきたとでもいおうか、シンプルに感覚的にこの変化に対応していくことが自分の幸福に直結するのだと思い始めた。そう、「自分の人生」、このフレーズを何度も使うが、例えば音楽のみならず、お笑い、タレントといったエンターテインメント系の人はもちろん、バリバリと仕事をこなすスーパーサラリーマンなど、このような人たちが誰かに対して感動、笑いやサービスを提供して多くの人の共感を呼び、指示されたとしてもそういう人たちは、いよいよ自分が死ぬという瞬間、何を思うのだろう。「自分は多くの人々を喜ばしてきた。そしてそれによって財も成した。しかし、等の自分自身はこれで幸福な人生だったのだろうか」というような根本的なところでの矛盾に気がついてしまった時には死んでも死にきれない気分になるのではないか。そんな考えになり、じゃあどうすれば幸福な人生だったと思いながら死んでゆけるのか、これはなかなか難しい、まさに「命題」だが、ここで抽象論を述べてもしょうがない、具体的にわかっていることがひとつだけある。それは家族を形成することである。独身で子供もまだ持たぬ身でありながら、これだけはなぜだか確信をもって幸福なことだと言い切れる。かといってもちろん今日、明日とか今年中に結婚しようなどと思ったところでこればっかりはまだまだ出来るものでもないのだが・・・。

それと、幸福の尺度とは人それぞれで、その度合いは個人の中にある皮膚感覚のようなもので決まるような気がする。かつてハードロックバンドとして世界進出も果たしたバウワウのVO、人見元基氏が現在、どこかの学校で英語の教師をやっている(彼はもともと教員免許を持っていた)という記事が新聞に載っていて、そこで本人が「もう二度と音楽をするつもりはない」と述べていて、この記事を読んだ当時は不思議でしょうがなかったが、今となってはとてもよく理解出来る。俺は音楽をやめようとは思わないが・・・。また、山口百恵は引退以降本当に一度たりとも一切のメディアに自らの姿を露出していない、ということをこれまではとにかくその潔さにカッコいい!と思い、一方で何事もなかったようにカムバックしてる都はるみをカッコ悪い、と思う程度だった。今でも山口百恵をカッコいいと思う気持ちは変わらないが、同時に、これは山口百恵自身が単純に今のライフスタイルのほうがハッピーだ、あるいは過去のライフスタイルはアンハッピーだと思っている(かはわからないが、)、いずれにせよ幸福の皮膚感覚に純粋に従っているんだろうと思う。

これら人見元基や山口百恵のようなスーパースターに自分を照らし合わせてもしょうがないのだが、仮に俺が環境の良い、別のレコード会社なりプロダクションなりに所属して商業的に成功したとしても、それが幸福だとは限らないという至極あたりまえのことを今さらながらようやくわかったのである。

さて、とはいえ俺は音楽をやめたいとは思っていないばかりではなく、メジャー志向でいようという考えもまだある。これはかなりのバクダン発言かもしれない。今までこの文章をずっと読んでくれてた人もここにきて「なんじゃそりゃ、結局まだメジャーでやっていこうと思ってんのか」っていう声が聞こえてきそうだが、この問いに対してYESNOかというとやっぱりYESになる。ただしこれまでとは違ういくつかの高いハードルを自らに課しての条件付きでということだ。まぁハードルというよりは自分のための幸福を守るプロテクターをつけながら音楽をやっていくということで、さらにそれは趣味とかではないあくまで本気でやっていくということである。しかもインディーズ的ではないメジャー的発想のもとでやっていきたいということである。ゼットンの歌詞ではないが、しっかりと身を守りながらも攻撃し続けていくということである。そんなうまくいくはずがない、オマエは小椋佳か!それが出来れば苦労しない、なにを甘いこと言ってんだと思われるかもしれないが、これが甘い考えだというのは百も承知であり、これで大成することがいかに確率の低いことかということは、普通一般の人よりも少しだけ俺のほうがよくわかってるつもりである。いろんなプロテクターをつけたまま活動していくわけだから、メジャーの会社からしてみれば扱いにくいことこの上なく、いろんな条件を許してまで、若くも無いアーティストに声をかけてくるところも無いとは思うが、それでも声がかかるくらいの存在になるべく自らをレベルアップさせたいと思っている。そして今度出会うレーベルの社長なりプロデューサーなりにはあとになってゴタゴタがないように最初にいろんなことをハッキリといっておきたい。過去にこういう経緯があったということを話したり、願わくばこの文章を読んでもらいたいとさえ思う。これらのことが自分にとっては決定的に不利なのはわかっているが、お互いに納得いく形でやらないことにはお互いのためにならない。ただしそれでも話がしっかりと成立したならば、それでもこの俺を世に出したいという奇異な会社なりプロデューサーなりが出現したならば、その会社、その人のためにも、もちろん自分のためにも、そしてもはや過去の、あの時のあのレコード会社の社長に逃がした魚は大きかったと言わせるためにも、命や人生をかけたりはせずに、その時点での自分の全才能をその時の会社に捧げるつもりだ。そしていつ「その時」が訪れてもいいように用意周到でありたい。

音楽活動をスタートさせてから21年たって今回の話がきたということはこれから21年以内に再び大きなチャンスが来るだろうという、かなり長期的な展望を持つようになった。しかもこれまでは21年間といっても、自分のスタイルをなんとか築いて商品価値のある作品作りに自信をもてるようになったのは正直ここ2,3年くらいのことで、だから21年とはいえこれまでのほとんどは発展途上であったので(もちろん今もこれからも途上であることには変わらないが)、単純に考えても、これからの20年の方がどう考えてもハイクオリティーな作品を量産出来るわけだし、これは遅咲きの分の悪さを差し引いても余りあるほどの20年だと思う。まぁ今でも十分に遅咲きの部類に入るが(笑)。

顧みるに今年の3月11日の時点ではメジャー志向でいることをやめようと思い、そう決めた瞬間にメジャーから声がかかり、しかも辞めて・・・、誕生日の時の状況に戻っただけだ、という考えが当初、色濃かったが、今ではまだメジャーだなんだって言ってる。この数ヶ月の出来事は、じゃあ何だったのかってことにもなるが、やはりメジャーの実態も何もわからずに、志半ばにして区切りをつけてしまった場合、今後も常にどこかでひっかかったまま生きていくことになっただろうし、そう考えると実際にメジャーの現場に身をおいたというのは収穫なのかもしれないと今ではやっと思えるほどになった。いい思い出とよべるものは本当に見事なまでに何も無いが、何のコネもなく、一本のデモテープからメジャーの扉が開いたという事実はこれからの自分にもちょっとした自信となっていると同時に、デビューという行為自体には今や何の興味も示さない、ふてぶてしい人間になれた。メジャー的な発想というのも、メジャーを見据えてやっていくならば必要なことだというあたりまえのことも再認識している。世の中の動きを新聞で読むように流行音楽は一応一通り聞いておくほうが、個性を売り物にする場合でもそれを仕掛けるタイミングを見極めたりすることが出来ると思う。それからメジャー的創作活動というものは、作品を量産出来るということももちろんだが、自分が作った楽曲で、それが仮にワンフレーズに何日もかけた力作だとしても、情け容赦なくボツにするという徹底的に冷めたもうひとつの耳が必要だということもわかった。

こんなようなことを今後の自身の創作活動に常に取り入れながら、これからやっていきたいと思う。何も大変なことじゃないし、加えて今は締め切りもしがらみも無い、良い条件のもとで自由にいろいろと思索・試作、あるいは詞作(?)し、膨大なストックを用意し、来たるべき時に備えたい。

「ショーシャンクの空に」という、冤罪で捕まった主人公が脱獄、生還する痛快な映画がある。20年かけてワンチャンスを確実にモノにするべく虎視眈々とその時に備えて(もちろん映画だからということもあるが)20年間の獄中での彼の行動は全て伏線となり、帰納法的に最終目的である脱獄、生還を可能ならしめる。と、何だか表現が難しくなったが、この痛快さは実際に見なければわかるまい。この主人公に比べれば俺はワンチャンスがどうのということではなく、過程もしっかり楽しませてもらう分、実を結ばずとも幸福である。思えばあのレコード会社に通っていた頃は、それこそ刑務所とか言葉の通じない外国にいるような感覚をもっていたが、そうであればこの度の俺は、さしずめ脱獄に成功し、生還したということか。メジャーからの生還・・・何だか妙な言い回しだな。それでいてまだメジャー志向とかホザいてるんだからいよいよ妙だ。否、メジャー志向というのとはやっぱり微妙に違うのかな?わかりやすくカッチリ整理しておこう。

     これからは音楽だけでメシを食っていこうという考えはまず捨て去る。

     収入源をバイトではなく正式な社員として働く場所とし、その職を探す。

     そこでメチャクチャ本気で働きながら、メチャクチャ本気で音楽もやる。

     仕事と両立出来る範囲の話以外は断る。

     両立範囲内の話の場合はもちろん全力で取り組む。

     作品作りやライブパフォーマンスはあくまでも一般不特定多数のリスナーを見据えたものとする。

つまりメジャー「志向」というよりメジャー的な「思考」で作品を作り活動していく、ということである。こう表してみると、今まで俺がコブシャウでやってきたアプローチもメジャー「思考」であったわけで、それじゃ変わんないじゃんってことだが、いやいや、すごく変わると思う。このことばっかりは言葉は無力だろう。とにかくこれからの俺の新たな曲を実際に聞いてもらうしかない。

The answer is blowing in the songs.

カッコつけすぎ?


~終章~

あんまりダラダラと長く書くのも(もう十分長い?)良くないので、そろそろ終わりにしたい、ということなんてもうずっとずっと前から思っていることなのだが(笑)なんだかやっぱり長くなってる。これを書き終えて早く次のステップに移んなければ・・・。

さて、具体的なこれからの音楽活動だが、まずはコブシャウについて。本音から言えば、何より一刻も早くコブシャウに戻って活動を再開したい。これはもうかなり強く思っていることで、勿論コブシャウをやめようなんてことは一瞬たりとも頭をよぎったこともなくて、ハナからコブシャウにはまだ「続きが残ってる」わけで、自分自身の生きがいとしてもやり続けたい。しかし、ここはグッとこらえて一歩踏みとどまるべきだろうと思う。やはり復活するからには色々な意味でリフレッシュし、緊張感も感じたい。このブランクのせいで今までのお客さんに忘れられて、まっさらな状態から始めることになっても、やはり色々な意味で昇華された形からリスタートをきりたい。

この数ヶ月間、他の5人のメンバーは、女性ヴォーカリストのオーディションをしたり、そしてその女性VOに対応した楽曲を新たに作ったりしてコンスタントにスタジオにも入っていたのである。このプロジェクトはぜひライヴとして発表すべきだと思うし、なによりそれは俺がとても見たいと思っていて、俺の長年の夢であった「コブシャウを客として見る」ということもかなうわけだし、メンバーとしてもしばらくは「おじゃ丸不在」のつもりで考えていたわけだし、乗りかかるも何も、動き出した船なわけで、とにかくそれはしっかりと目的地まで到達しきってもらいたい、という気持ちがある。そして一方でこれは同時に、俺自身の首が絞まることにもなる、ということももちろん気がついている。しっかりとマジでやってほしいからこそ、そしてマジでやってるだろうからこそ、だんだんと「なんだ、おじゃ丸いないほうがいいじゃん、やっぱ今の時代、女ヴォーカルでしょ!」とかってなることも十分にあり得る。既に帰る場所なんてなかったり(笑)。それくらいになってほしいというのと、そこまではヤダというわがままな気持ちが共存し、ここで既に緊張感は生まれている。

そして今度は俺個人はというと、音楽の自給自足力をもっとつける。一人じゃなにも出来ないということがないようにする。もっともこの考えは去年の暮れあたりから思っていたことで、「自虐的弾き語り路上演奏」などはそのあらわれでもあったわけだが、今後はまた別の自給自足力、例えば打ち込み機材を買ってその技術を身に付けるとか譜面を多少読めるようにするとか、およそ今までの俺では考えられないことを試してみようと思う。ほかにもとても原始的なことで長いこと怠っていた、歌やギターを練習するということもある。そしてバンドの力を借りることなくやっていける自活力をつけたい。これまでも一人ないし「おじやと鮭鍋」などはやってきたが、やっぱりソロ活動をやってるという気持ちが正直あったし、コブシャウが帰る場所みたいな感覚があったけど、これからは本当の意味で自活力をつけたい。そしてこのことで今度はコブシャウのメンバーが俺に対して緊張感を持ってくれたならと思う。

要するに俺にとっても、メンバーにとっても、当初の思惑通り、つまり俺がメジャーで何年かやっていつの日にか俺もメンバーもワンランクアップした状態で再びコブシャウを始めるということを、あくまでも実現させたい。メジャーデビューはしなかったけれど、色々な意味でレベルアップしてからコブシャウを再開すること、体のいい言葉でいうと、これが俺の、そしてコブラツイスト&シャウトのプライドなんだと思う。

気がつけば何のライブイベントもないままコブシャウは8月6日で7周年を迎えた。去年の今ごろはゴーダが加入したばっかりの時で、この一年だけでもいろんなことがあった。特にこの数ヶ月は個人的に強烈すぎたが・・・、まさに、人知れずも歴史あり。そしてまだまだ残っている「つづき」を早速始めるために、筆を置こう。

つづく(笑)


トップページ